「◯◯はやめとけ」っていう人は大体それをやったことない奴

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最近いろいろ変なことに挑戦してます。

例えばこの前は渋谷でフリー元気玉をしました。

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 また同じ日に早稲田でひざうら撮影会をしました。

 

こういうことをすると必ず誰かに言われます。

 

「そんなことしてどうすんの?やめとけ。」

「もっとするべきことあるよ。やめとけ。」

「せっかくいい大学入ったのにバカなことすんなよ。やめとけ。」

「それって危ないよ。やめとけ。」

 

皆さんも経験があると思います。

相手が本当に自分を心配して言ってくれているという可能性も確かにあります。

 

でもここには落とし穴があって、その点には絶対気をつけなきゃいけません。

 

彼らは大抵それに挑戦したことがない

そういう風に新しいことに挑戦する人を批判する人の中に、果たしてどれだけそのことに挑戦したことのある人がいるんでしょうか。

いませんよね。

自分の経験から「◯◯はやめときなさい」と忠告してくれる人は大切ですがそういう人はなかなかいないのが現実です。

 

まあ僕自身の話でいうと批判してくる人の中でフリーフォローをしたことがある人はまずいないでしょう。

 

そんな人たちの忠告を聞く必要なんてない。

 

妬みじゃないの?

端的に言ってしまうとそういう批判の多数が妬みのような気がしてしまうんですよね。

 

前にフリーランスについての記事を書きました。

 

これも一緒で例えば月収100万稼いでいる人は批判しないでしょう。

あーそんな稼ぎ方もあるんだなあと思って放っておく。

 

また自分の仕事に満足してる人もきっと批判しない。

こういう働き方があるらしいけど自分はこの仕事が好きだからって。

 

批判する人って会社の一社員として働いていてかつその仕事に満足していない人。

自分はこんなに苦しい思いをして働いてこのくらいの収入しかないのにこいつは自由に働いていっぱい稼いでやがる。

でも今の安定した職は手放したくない。じゃあもう批判することしかできない。

 

これって単なる妬みでしかないですよね。

 

心配してくれる人も…

冒頭でも言いましたが中には本気で心配してくれて「やめなよ」といってくれる人もいます。

人は「心配される」という行為に弱い。

自分が「こうだ!」と思っていることでも大事な人にやめなよと言われると簡単にやめてしまいかねません。

 

僕自身両親に全力で止められたら意志を曲げかねないと思います。

 

でもこの場合も同じことが言えてしまう。

いくら自分のことを理解している身近な人であってもあなたがしようとしていることについてはやったことはなく、あまり知識がないことがほとんどです。

 

心配させたくないという感情は人として当たり前ですが、新たなことに挑戦するときには捨てざるを得ません。

足かせになります。捨てましょう。

 

自分のやりたいことをやろう

結論としては単純で「誰がなんと言おうと自分がやりたいことをやろう」ってことです。

やりたくないことをやり続けることほど苦痛なことはない。

 

僕よりずっと人生経験の長い方に

「大人の世界を知らないからそう言えるんだ。時にはやりたくないこともやらなきゃならないのが大人ってもんだ。」

とか言われそうですが、それなら僕は大人にならなくていいです。

 

普通に考えて「やりたくないことをして生きていくのが人生」っておかしい。

なんのための人生だよ。

 

ついでに

さっき言ったように、やりたいことをやっている人は批判をしません。

世間一般には無謀だと言われる挑戦をしている人を優しく肯定できる人になるでしょう。

僕もそうでありたい。

 

この記事にも書きましたが

僕は母親に肯定され続けて生きてきました。

だからこそ人に肯定してもらうことの力をよく知っています。

 

人に肯定の力を与えられる人になります。

 

 

まとめ

なんかキレてる人がずっと愚痴をこぼしてるような記事になってしまいました。

不快に思った方がいれば申し訳ないです。

 

でもこれがまだ「社会」を知らない子供の率直な意見です。

できればその「社会」を一生知ることなく生きていきたいです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。